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井の中の蛙が大会に飛び込むまで【ももち選手インタビュー 前編】

カプコンカップ」、「EVO」など数々の世界大会での実績を誇り、プレイヤーとしてだけでなく、ゲーミングチームの運営やイベント企画を手掛ける「忍ism」代表としての顔も持つベテランゲーマー、ももち選手。伊賀忍術創始者とされる忍者「百地丹波」の末裔でもあるこの男は、いかにして格ゲー戦国時代を戦い、eスポーツの夜明けに携わって来たのか。そのルーツと展望を聞いた。

インタビューは2020年3月5日に収録

ゲーセンデビューは小学生の時の『KOF』

――今の格闘ゲームシーンでももちさんを知らないという人はいないと思いますが、改めて、その生い立ちから聞かせてください。

ももち:1986年生まれで、物心つく前に少しだけ大阪にいたりもしたんですけど、ほぼ四国の愛媛県で育ちました。父親がそれなりにゲーム好きだったみたいで、物心ついたときには家にファミコンやスーファミがありましたね。遊んでいたゲームは王道で『スーパーマリオプラザーズ』とか『ドラゴンクエスト』とか。スーパーファミコン版『ストリートファイターII』も遊んでましたけど、そのときは数あるゲームのうちのひとつ、みたいなイメージでした。

――家庭用ゲーム機で遊んでいる頃は、対戦ゲームがメイン、というわけではないですよね?

ももち:ですね。ゲームセンターデビューしたのは小学5年生、1995~1996年頃でした。「すごい場所があるぞ」ってゲーム好きの友達に誘われて行って、そこからですね、対戦ゲームにハマったのは。

――その頃のゲームセンターというと、各社が競うように対戦格闘ゲームをリリースしていた時代ですね。何をメインに遊んでいたんですか?

ももち:『THE KING OF FIGTHERS』シリーズです。1プレイでキャラを3人選べるっていうのがすごい衝撃で。京とか庵とかキャラクターも格好いいじゃないですか、なんかこう、中二心をくすぐるというか。ゲームは当時から勝てるほうだったので、小学生でありながら中学生や高校生相手に乱入して勝ってました。

――年上に混じって対戦するのは怖くなかったですか?

ももち:怖かったです(笑)。しかも愛媛は田舎なので、ゲームセンターは暗くてタバコ臭くて、怖いお兄さんが集まる場所……みたいな文化がこの時代でもまだ残ってましたし。

――首都圏だと、1994年の『バーチャファイター2』のヒット以降くらいから、ゲームセンターの店内が一気に明るくなっていったイメージはありますが。

ももち:そうなんですよ。だから僕と同世代のときどさんやマゴさんに「ゲーセンって怖かったよね」と言っても通じないんです。彼らは都会っ子だから(笑)。


――勝ったら絡まれちゃう、みたいなこともありました?

ももち:絡まれましたね、殴られたこともあるし、それこそカツアゲされたことも一度や二度じゃないです。当時の『KOF』って、永久コンボ(※相手をKOするまで途切れずにつながる連続技)が当然のようにあって、いかにそこに持って行けるかというピーキーなゲーム性だったので、やっぱり大人のプレイヤーというよりは中学生に人気だったんですよ。

そこに小学生の僕が入って連勝し始めるとどうなるかというと、普通は対戦台で連勝してたら、筐体を挟んだ向かいの相手側に次の挑戦者が並んでいくじゃないですか。ところが僕のいた環境では相手の中高生の仲間が僕の後ろに並んで「おまえ、わかってんだろうな」っていう圧をかけてくるんです。そのプレッシャーを受けながらも淡々と永久コンボをたたき込んでいくという経験は、今に活きてる可能性はありますね。大会で受けるちょっとやそっとの緊張くらいなら、小学生がヤンキーに囲まれながらプレイするのと比べたらもう全然たいしたことないです(笑)。

――スーパーファミコンのコントローラーからアーケード筐体のスティックへの移行はすんなりできました?

ももち:子供だったからなのか、何の抵抗もなくすぐに慣れましたね。むしろ格闘ゲームはゲーセンでやるもの、とシフトしていって、友達に家で『ストⅡ』をやろうと誘われても「パッドじゃちょっとなぁ……」ってなっていきました。

――小学生時代からずっとゲーセンに通い詰めていたんですか?

ももち:小5~中1の最初くらいまでは入り浸っていたんですけど、中1から部活でバドミントンを始めたらだいぶ足は遠のきましたね。もともとスポーツは好きだったので、バドミントンにのめり込んでしまってゲームはあまりやらなくなったんです。なので、中3の夏に部活を引退するまで、ほとんどゲームはやってないんですよ。

――ももちさんに運動のイメージはありませんでした(笑)。

ももち:まあ、中3で引退してからは「何もやることねえな」となって、またゲーセンですけどね(笑)。そこで出会ってどっぷりハマったのが、カプコンの『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』です。中学時代のブランクが空いてるので、『ストリートファイターZERO』シリーズもそうですし、初代『ストIII』も、『ストⅢ 2nd』もやらずに、いきなり『ストⅢ 3rd』に出会いました。

その頃に新しくできたゲーセンの店長がめちゃくちゃ『ストⅢ 3rd』が好きで。ナムコ系列のゲーセンなのに『鉄拳』は1~2台しかなくて、『ストⅢ 3rd』が3台あるという環境だったんです。田舎のゲーセンですよ!? 田舎のゲーセンで『ストⅢ 3rd』対戦台が3セットあるっていう。人も少ないから対戦台が3セット埋まることもないのに。

そんな店長自身とも何度も対戦しているうちに仲良くなって、ゲーセン閉店後はその店長宅に行って、ドリームキャスト版の『ストIII 3rd』で遊んでました。


人生を変えた『ストIII 3rd』

――『ストIII 3rd』自体も稼働初期から遊んでいたわけではない?

ももち:ですね。僕がやり始めた頃には『ストIII 3rd』業界で今も続いている「クーペレーションカップ」っていう伝統的な大会もすでに第2回とか第3回とかが開催されてました。ちょうど「闘劇」(アーケードゲーム雑誌主催によるゲームセンター向け対戦格闘ゲーム全国大会)が始まるくらいだったかな……なので、2003年頃だったと思います。

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