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連載60回記念! いま改めて遊んでみたい、ゲームの特殊性を感じさせる名作インディーゲーム3本【インディーゲームレビュー 第60回】

ゲームとは現実の抽象化と誇張化の産物である

筆者は専門学校でゲームのレビューに関する授業を担当しており、本連載も一般読者に読まれるだけでなく、授業のサブテキストになることを前提としている。そのため内容は純粋なゲームレビューというよりも、ゲームレビューの様式を借りたゲームデザインのコラムだといえる。もっとも、最初からそうした意図はなく、連載を続けるうちに、自然に内容がシフトしていったというのが正直なところだ。連載の過程で新しいアイディアが生まれたり、自然に考えがまとまっていったことも少なくない。

中でも思いもよらなかったものが「ゲームは現実の抽象化と誇張化の産物である」というアイディアだ。この視点に立てば、ゲームは漫画・小説・映画・アニメなど、あらゆるフィクションと同じ存在になる。一方でゲームには他のメディアにはない、インタラクティブな要素がある。つまり人は「現実が適度に抽象化・誇張化された世界で主人公になり、自分の操作を通して、手軽に成功体験にひたれる」からこそ、ゲームを楽しむのだと言えるだろう。

もっとも、こうした考えは自然に生まれてきたものではない。これまで多くの書籍や論文を読んだり、取材を重ねたり、議論を重ねたりしてきた経験が土台となっている。その上で、さまざまなゲームを遊んだことがきっかけとなって、インスピレーションを得ることができた。そこで本連載が60回目を数えたのを機会に、自分がそのように考えるきっかけとなったタイトルを紹介したい。いずれも名作ゲームなので、同じように遊んで自分なりの考えを深める材料として欲しい。

『Expand』~私と世界とを結ぶ関係性


本作『Expand』は「ゲームとは現実の抽象化と誇張化の産物である」という考えに、はじめて思い至ったタイトルだ。ゲームの内容はブロックを操作して障害物を避けつつ、ゴールをめざすというもので、ミニマルなグラフィックと説明不要のシンプルな内容が特徴だ。それでいてゲームをクリアすると、何かしら温かい気持ちになれるという、ナラティブの要素も内包している。実際、常に伸縮・展開・変形を続ける円形の迷路は、まるで人体の内部のようにも感じられる。

本文中で解説したとおり、本作は「操作できるもの=プレイヤーキャラクター」「操作できないもの=迷路や障害物」「両者の関係性=障害物に当たるとミスなど」で記述されている。そして、この関係性は現実世界でも同様に観測される。もっとも現実よりゲームの方が、各々の要素がシンプルで明確だ。そして、現実と異なりゲームでは、たとえ失敗したとしても、何度でも繰り返し挑戦できる。ゲームとは何かについて考えるうえで、興味深い視座を与えてくれる作品だ。

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『Expand』ゲームの基本形が見せたセンスオブワンダー【インディーゲームレビュー 第11回】

『This War of Mine』~体験を通した問題提起


過去レビューした中で、ゲームの「現実の抽象化と誇張化」という側面を、もっともわかりやすく提示してくれる作品が本作『This War of Mine』だろう。ゲームの舞台はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に伴い、1992年に発生したサラエボ包囲だ。プレイヤーは戦火に見舞われた家屋を拠点に、食料や物資をやりくりしながら、日々の生活を送っていく。日中は家屋にこもって道具や食料を作り、夜は物資を求めて街を徘徊する。停戦まで生き延びられればゲームクリアだ。

本作のポイントは現実問題をゲームで解決するシリアスゲームのレベルを一気に引き上げてしまったことだ。本作をはじめてプレイすると、なんとも言えないやりきれなさに襲われる。しかし、何度も繰り返し遊んでいるうちに、次第に感覚が麻痺してきて、効率だけを求めるようになっていく。それは戦場で人の生死になれてしまう感覚と、同じではないのか……という問題意識をつきつけてくるのだ。本作は反戦について声高に訴えることはしない。しかし、その思いが静かに伝わってくる。

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『This War of Mine』ゲームはついに戦時下の生活を描いた【インディーゲームレビュー 第15回】

『環願 Devotion』~ゲームが持つ批評性と暴走


「現実の抽象化と誇張化」であるゲームには、ぬきがたい批評性がある。その批評性が炎上という形で、誰からも望まれない形で露呈してしまった象徴的なタイトルが本作『環願 Devotion』だ。ゲームは1980年代の台湾における、集合住宅の一室を舞台にした3Dホラーアドベンチャー。プレイヤーは家の中を探索しながら、一家を襲った哀しみの記憶を追体験していく。このタイトルに習近平を揶揄した符籙(符呪)が見つかったことで、中国ユーザーから激しい批判を浴び、削除されることになった。

本作を開発したRed Candle Gamesは、前作『返校 Detention』で当の中国ユーザーからも高い評価を得た台湾のディベロッパーだ。いわば天国から地獄に突き落とされたことになる。2019年2月にリリースされた後に、Steamから削除されたまま、いまだに販売が再開されていないという状況こそが、ゲームの現実社会に与える影響の大きさを物語っているといえるだろう。いつの日か『環願 Devotion』が『返校 Detention』と共に遊べるようになる日を願ってやまない。

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『環願 Devotion』問題に見る現実とゲームの接続……ゲームはなぜ社会問題化するのか【インディーゲームレビュー 第48回】

ゲームとアートの違いとは何か

このように今回紹介した3作品は、ともにプレイヤーの側がゲームからさまざまな想像を広げられる点に特徴がある。『環願 Devotion』の炎上はそれが行きすぎた結果だが、いずれにせよゲームはそうした力を得るまでに成長したといえるだろう。もっとも、これは考えてみれば不思議なことだ。というのもゲーム開発者はプレイヤーに楽しんでもらうためにゲームをデザインする。しかし、プレイヤーはゲームを遊んで、楽しみ以上の価値を(良くも悪くも)見いだしているように感じられるからだ。

一般にデザインとは(ゲームデザインも含めて)「課題を解決する行為」だとされる。そのため良いデザインに触れると、受け手はそこから作り手の意図や狙いが誤解なく読み取ることができる。一方で優れたアートは反対に、「作り手の自己表現」でありながら、そこに込めた想いがストレートに表現されることはない。受け手がさまざまに想像を巡らせ、多様な読み取り方ができる作品こそが、良いアートの条件だからだ。だからこそ優れたアートは時代を超え、普遍性を持つことができる。

それでは、はたしてこの3作品は時代を超えて語り継がれる「アート」だと言えるのだろうか。それを決めるのは作り手ではなく、受け手の側だ。ただ一つ言えるのは、ゲームとは「現実の抽象化と誇張化の産物」だということだ。だからこそプレイヤーは嬉々として「嘘だとわかっている」フィクションの世界に身を委ねていくのだ。もっとも、こうした考えも現状ではまだ、壮大な仮説に過ぎない。今後も本連載を通して、さまざまに思索を深めていきたい。

小野憲史のインディーゲームレビュー 60回記念プレゼント応募方法

応募要項

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※応募は1人1回のみです。不正な応募は除外させていただきます。
※ゲームの受け取りにあたっては、Steamアカウントが必要となります。あらかじめご了承ください。

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